2022年プロ野球界に「ビッグボス」旋風が吹き荒れている。
日本ハムファイターズの新監督に新庄剛志が選ばれた。
「ビッグボス」と己を命名し、早速新庄節が炸裂。
まさかまさかの展開に日本中が湧き、
日を追うごとに新庄の野球に対する真摯な向かい方に賛同の声が出てきた。
新庄剛志を今日に導いたのは父親、新庄英敏さんの熱い思いが大きな支えになっていた。
極貧の中で剛志少年の将来を見据えた父親の息子への思いが無くして今日のビッグボスは語れない。
【この記事では】
・新庄剛志の父はどんな人物だったのか
・貧困の中で剛志少年に何を教えたのか
・新庄英敏の子育て論とは
・勉強しなくて良いの本音とは
・7500円のグローブの思い出とは
これらを詳細にまとめました。
2022年球春が目の前です。
ビッグボスこと新庄剛志と日ハムが話題の注目される中、
この親子のドラマを是非知って欲しと願ってます。
最後までご覧ください。
新庄英敏は第2子(長男)として誕生した剛志に、
自身が果たせなかったプロ野球選手になって欲しいと夢を託しました。
剛志は足の速さと肩の強さが小学校の時から抜きん出ていた。
小学校2年生から剛志に野球を教え始める。
父親 新庄英敏が雑誌に語った事
「プロ野球選手にさせようとレールを敷いてきたが、
何をやるにしても最後は剛志の気持ちを尊重してきたつもりです。
親に押し付けられてやるのではなく、
自分が決めたことは責任感が生まれる」と応じた。文子さんもそれを聞いて、
「好きにやればいい。なんでも親のいうことを聞く子供なんて気持ち悪いと思いませんか」と笑っていた。困ったことがあれば助け合うが、余計な口出しはしない―プロの世界に入ってからの新庄親子は、そんな関係だった。
引退した2006年オフには、英敏さんは「あいつは全く連絡もよこさんのよ」と苦笑いしていた。
引用:NEWポストセブン
福岡県
・昭和16年1941年(昭和16年)
・福岡県筑後市生まれ。
・昭和47年「新庄造園」創業、植木職人
・合気道の先生
・異業種交流会「木曜会」の会長を務める
傍ら市内各学校及び九州近郊での講演活動を行う。
また新聞、雑誌、テレビ等に数多く出演した。
本の執筆も行い、大リーガー「新庄剛志」の育て方 『子育ては“木育て”』を発行。
・食道がんで『2011年8月5日逝去(享年70歳)
引用」:https://campbbq.jp/sinnjyoutuyosi-father/
新庄剛志は幼少から家業を手伝い、
材木運びなどを手伝っていたので握力が付き、
片手でリンゴをつぶせるほどになった。
父親は仕事が終わるとハサミを毎日手入れしていた。
それを見みていた新庄は道具の大切さが身に染みたのだと思う。
新庄剛志はプロになって最初のグローブを
大切に使ったことを話してます。
引用:https://www.xox-tokyo.jp/
父親英敏は雑誌のインタビューに対し子育てについて語っている。
新庄英敏が息子との接し方、子育てについて
気持ちが語られている興味ある記事です。
「子育ては植木を育てるのと同じ。私は放任主義でしたが、完全に放ったらかしたわけではない。
1本の木を育てるには、土壌、肥料、日光、水などに気をつかってやらないといけない。愛情もいるし、あと剪定も必要。土壌が両親としたら、肥料は食事、水は愛情で、日光は環境。
そして、剪定はしつけです。剪定はやらないといけないが、やり過ぎるのも問題。枝の剪定にも、切っていい時期といけない時期がある。
褒めることと叱ることの使い分けが子育てには大切だと思います。
水(愛情)をやり過ぎても根腐れしますしね。ただ、植木はモノを言わないから子育てより難しい。
そう気楽に考えて剛志を育ててきました」引用:NEWSポストセブン
父親 新庄英敏は合気道の先生もしていたと伝わってます。
新庄剛志はツイッターでこんな事を語ってます。
気持ちで強くいて生きていく親子の姿が彷彿とさせますね
引用:https://www.xox-tokyo.jp/shinjo-tsuyoshi-hidetoshi/
新庄剛志のの父親は息子を育てた経験から、自分の子育て教育論を本にした
【大リーガー「新庄剛志」の育て方 子育ては“木育て”】
造園業を営む新庄英敏は子育てと植木の育て方は同じと説いている。植木は選定しすぎると良くない!子育ても口出し過ぎは良くない。子供が間違った方向に行った時に正していくことが大事と言う。
子育ては、木を育てるのといっしょです。水やりも剪定もタイミングがあるんです。 造園業を営み、植木職人を30年以上続ける父親の英敏さんが、この度初めて本を書きました。「子育ては、まさに木育て」という言葉に、現代の親たちが忘れてしまった親子関係の真の姿を垣間見る思いです。 とくに、子育てには「父親の役割」が大きいと言います。若い親たちは、えてして子育てを母親に委ねがちです。しかし、父親こそ子育ての主役に座り、しっかりと子供とふれ合うことが大事なことだとしています。
なかでも「見守る」ことは、子育てのもっとも大切なことです。では、どう見守ったらいいのでしょうか。植木職人という英敏さんの子育て法に驚いたり、感心したり…。
「父親の子育て5箇条」や「子育てのコツ37」など、詳しくはぜひ本文を読みください。本書が、子育てに奮戦している親たちに、親とは、家族とは、子育てとは何かを解く、大きなカギとなることでしょう。
引用:出版社のコメント
新庄剛志さんの父親、新庄英敏さんはとにかく
「良いモノを伸ばしなさい」という考え方だったそうで
「勉強はしなくて良いからスポーツで突き抜けなさい」と
言われ勉強をせずに野球に明け暮れたそうです。
最後は歩けず目も開けられなかったが、
苦しんだ様子はなかったと話している。
新庄は父親の訃報を聞き「最愛の人」ですと答え、
この一言が大きな印象に残りました。
引用:https://www.zakzak.co.jp/
父・新庄英敏/1941年生まれ
2011年・70歳で亡くなる
母・新庄文子/1944年前後生まれ
年齢・77歳実家は長崎県対馬
姉・新庄真由美/
年齢・51歳(2歳差)
父親の新庄英敏さんは破天荒な性格で有名だったそうです。
ある日父親が飲んで帰って、
寝ていた文子さんに「おい、起きろ!」と言いながら、
布団に入っている母ちゃんをちょっとだけ蹴ったらしい。
それはないとばかりにお母さんは台所に行って包丁を取ってきて、
大声を上げて、そのまま躊躇なく親父に向かって突っ込んで行った。
父親は合気道を教えていたのですぐに抑え込んだ。
それにしても新庄剛志さんのお母さんはかなりパワフルな方だったのですね。
母、文子さんが取材に応えた内容
文子さんは、新庄剛志は「子供の頃からもの凄く負けず嫌いでした」とも明かしていた。「校内のマラソン大会で2位になって大泣きしていた。
中学時代には、担任の先生から“新庄君は将来、
プロとしてスポーツで飯が食える”と言われました。お父さんは野球をさせたがったけど、
サッカーのほうが上手でしたね(笑)。体が大きくなるように牛乳を飲ませ、チーズなど乳製品を食べさせました。
得意のサッカーの道に進むのかと思っていましたが、
お父さんの希望通り野球の道を選んだ。そんな子供なんです」引用:NEWSポストセブン
新庄剛志さんの実家は福岡県福岡市南区ですが、
新庄剛志さんはお母さんの新庄文子さんの
実家・長崎県下県郡美津島町(現・対馬市)で産まれたようです。
新庄剛志は少年時代、超貧乏だったと打ち明けている。
この経験がどんなにつらい事でも乗り越えるパワーとなっている。
母親が低血圧で、朝ごはんというものはなかったと言っている。
なので学校の給食を思いっきり食べていた。
夕飯はゆで卵が一個。
1人前のラーメンをお姉ちゃんと2人で分け合う。
シャワーはなくて五右衛門風呂で水は1週間使いっぱなし.
窓ガラスが割れても冬はビニールを張っていた。
車の窓もビニールで張ってあって、直すお金なんてなかったいう。
新庄剛志は子供の頃、相当苦労したことがうかがえる。
そんな中でも明るく前向きな性格は逆境の中で育んだのかもしれない。
新庄英敏さんは新庄剛志が生まれた時からプロ野球選手にするつもりだったという。
新庄が阪神タイガース時代はキャンプや公式戦などにも
顔を見せる名物パパとしても知られていた
この経験があったからこそ本当にハングリー精神旺盛で、
人から憧れる人、人がやっていないことをやりたいと思ったそうです。
新庄の父親は新庄剛志を何が何でも
プロ野球選手にするという夢を持ち続けていた。
足の速さと肩の強さは幼い頃から身につけていた。
小学校2年生より父親と野球の練習を始めた。
どんなきつい練習でも泣きながらでも弱音は吐かなかッた。
小学高学年時には家業を手伝い、
重い石碑等を持つ作業で体力をつけた。
引用:https://kawagutufurugichuuko.com/sinjyo-glove
新庄剛志はプロになり一年目に買った7500円のZETTの
グローブを大切に使ったと伝えられている。
新庄剛志さんは入団して引退するまでの17年間
試合では必ずこのグローブを使い続けていました。
プロ野球の選手ではとても考えられないことですが、
これも父親から教わった道具に対する考え方考え方だった。
お父さんの新庄英敏さんは造園業を営んでいましたが、
毎日毎日ハサミなどの道具を手入れしていた姿を見たからです。
日ハムの監督に就任したからには、
こう言った考えもチームに反映して、
本当の意味での強いチームになって欲しいですね。
新庄剛志が子供の頃体験した貧乏生活は、
大きな資産になってますね。
英敏は1年半の闘病生活をした。
7度の入退院を繰り返した。
文子夫人は一度は関知して大好きな
仕事もたばこも良いと言われたそうですね。
食道がんで『2011年8月5日逝去(享年70歳)
・新庄剛志(しんじょうつよし)本名同じ
・別表記 /SHINJO
・生年月日/1972年1月28日 50歳
・出身地 /長崎県下県郡美津島街(現 対馬市)
・血液型 /A型
・身長 /181cm
・配偶者 /大河内志保(2000~2007)
・職業 /日本ハムファイターズ監督
・出身高校/西日本短期大学付属高校
今回は新庄英敏についてこの世な内容をまとめました。
1,父新庄英敏のおかげで日ハムの監督になれた!
2,父親 新庄英敏のプロフィール
3,父新庄英敏の職業は造園業
4,父新庄英敏は「子育ては植木と同じ」と語った
5,父新庄英敏は合気道の先生だった
6,新庄剛志の育て方「本」を出す
7,勉強しなくていい!「良いモノを伸ばしなさい」
8,父新庄英敏と家族について
9,母親の文子さんは気が強く感情の起伏が激しい人
10,新庄家族 少年時代の超貧乏体験
11,新庄剛志の体の強さは父親の愛情で培われた
12,新庄剛志 7500円のグローブへの思い出
13,新庄英敏は食道がんで闘病生活に
2022プロ野球の球春はそこまで来ている。
日ハム新庄ビッグボスがどんな旋風を巻き起こしか
ファンは固唾を飲んで見守ってます。
この一年、新庄剛志をしっかりフォローしていきたいと思います。
最後までご覧いただきましてありがとうございます。