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大谷翔平 父親大谷徹は野球監督?職業や父の教え「野球ノート」とは

大谷徹 スポーツ

今回は、大谷翔平を育てた父親、大谷徹氏がどんな人物なのか。
翔平にどんな教育をし、どんな育て方をしたのか等をまとめました。

 

大谷翔平はMLBで「二年連続MVPを取れるか」・・
2022年シーズン末にきてこの話題が沸騰中!
翔平は今年はベーブルースの記録を104年ぶりに更新。
投手で10勝、打者でホームラン10本を記録。
日米で大きな話題になってますね。

 

大谷翔平は父親の大谷徹からどんな影響を受けたのかや、
大谷徹が翔平と交わした「野球ノート」も話題になってます。
岩手県奥州市で繰り広げられた大谷徹の家族に興味が尽きませんね。

最後までぜひご覧ください

 

大谷徹 家族
引用:https://www.jesleague.jp/ootani-syouhei-profile/
大谷徹 家族構成

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大谷翔平の父親大谷徹の生い立ちと野球との出会い

大谷徹は中学2年から野球部に入りエース兼4番打者として活躍。
岩手県内の野球強豪高校から注目されるようになった。
岩手県立黒沢尻工業高等学校に進学も野球では
3年間で一度も甲子園大会に出場できなかった

 

三菱重工横浜野球部のセレクションを受け、高校卒業後は地元を離れる。
プロを目指したが24歳のとき、監督の臼井喜久男から戦力を通告された。
後にトヨタ自動車東日本に転職し地元の岩手にもどった。
1994年に次男・翔平が誕生。
ここから翔平との野球ドラマが始まった。

 

大谷徹 父親
引用:https://www.daily.co.jp/baseball/2017/11/12/0010725259.shtml?ph=1
日本ハムで大谷翔平の初登板を見守る父親 大谷徹

大谷徹のプロフィール

大谷徹
生年月日: 1962年 (年齢 60歳)
身長: 182 cm
学歴: 岩手県立黒沢尻工業高等学校
出身地: 岩手県北上市和賀町
配偶者: 大谷加代子
身長体重: 182 cm
子女: 大谷龍太、 大谷翔平
大谷 徹は、岩手県北上市出身の日本の元社会人野球選手、少年野球監督
長男はトヨタ自動車東日本に所属する大谷龍太
次男はロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平

大谷徹は岩手県北上市和賀町出身です

大谷徹は岩手県南西部の北上市和賀町の生まれです。
北上市は東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道釜石秋田線等の
高速交通体系の整備され、「
東北の十字路」と言われています。
交通・物流の要所であり産業活動が活発なところです。

大谷徹は学生時代から社会人まで野球に取り組む

大谷徹は学生時代から野球に取り組み、社会人になってからは、
実業団チーム(神奈川県横浜市)に属しプロの選手を目指してました。
後に地元に戻り、翔平が所属する少年野球チームのコーチを長い事勤めました。

父親、大谷徹はプロ野球選手への夢を翔平に託し、
その夢は大きく花が開きました

 

プロ野球選手
引用:https://full-count.jp/2020/03/24/post730953/

中学時代は陸上部

大谷徹は父親(大谷翔平のおじいちゃん)の勧めで野球を始めたそうです。
幼少よりスポーツに取り組む環境がありましたね。
体格に恵まれていた大谷徹は中学に入ると陸上部に入りました。
野球部ではなかったのですね。
陸上部では恵まれた体格でしっかりと実績を出していました。
負けず嫌いだったと言われています。

 

中学2年生の時に野球部に入り、本格的な野球人生がスタート。
大谷徹はエースで4番打者!
※将来の大谷翔平を彷彿とさせますね。
大谷徹は当時、野球強豪校の監督の目に留まる存在になっていたそうです。

岩手県立黒尻沢高校に進学

大谷徹は高校進学を野球中心に考えていました。
私立の名門高校も頭にあったそうですが、岩手県内の野球強豪高校の監督から直接、
声をかけられ進学を決めました。
その強豪校こそ「岩手県立黒沢尻工業高校」です。

 

黒沢尻工業は春のセンバツで1回、夏の選手権で3回甲子園出場している、
岩手県の強豪校として知られています。

 

岩手県立黒沢尻工業高校

引用:黒沢尻工業高校HPより

黒沢尻工業高校野球部

引用:黒沢尻工業高校HPより

 

岩手県立黒沢尻工業高等学校

部活動
岩手県におけるラグビー強豪校の一つ
全国高等学校ラグビーフットボール大会に24回の出場
第58回大会では準優勝

野球部は甲子園出場を果たしたこともある古豪

出身者
藤原喜明 – プロレスラー
八重樫東 – プロボクサー
小原佳太 – プロボクサー
大雅アキラ – プロボクサー
及川洋治 – プロ野球選手
石塚綜一郎 – プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
大谷徹 – 社会人野球選手、大谷翔平の父親
高橋拓也 – ラグビー選手(釜石シーウェイブス)
佐々木裕次郎 – ラグビー選手(釜石シーウェイブス)
高橋英明 – ラグビー選手(元リコーブラックラムズ)
千田美智仁 – ラグビー選手(日本代表)
藤井大喜 – ラグビー選手(パナソニック ワイルドナイツ)
長谷川武 – バスケットボール選手
高橋広 – 漫画家
佐藤翔 – ボート選手(日本大学)
高橋平吉 – 起業家、株式会社Historia代表取締役社長。

黒尻沢高校野球部で甲子園出場を果たせなかった

大谷徹はよりレベルの高い環境を求めて黒尻沢高校野球部を選んだ。
黒尻沢高校野球部には中学時代にエースや4番等の名のある選手が沢山集まっていた。

大谷徹は中学時代、エースで4番の二刀流でチーム内のエースだったが、
黒尻沢高校野球部ではピッチャーとしては通用しなかったようですね。
1年生の時にピッチャーだダメだ言われ、内野手や外野手に転向。
その結果、外野手でレギュラーのポジション掴みました。

 

しかし、高校3年間で念願の甲子園出場は叶いませんでした。
・1年生 県予選決勝で敗退
・2年生 県予選初戦で敗退
・3年生 県予選初戦で敗退

 

特に3年生夏の県予選で負けた時は心に大きなダメージを受けた言われていますね。
中・高校の6年間、野球に真剣に取り組んできたからこそ、心の傷は大きかったと想像されます。

 

大谷徹は高校を卒業も社会人野球に入りプロを目指すつもりでした。
黒尻沢高校野球部の多くのOBが実業団チームに入り、
高校卒業後も野球を続ける人が大半だったそうです。

高校野球 甲子園球場

引用:https://www.hanshinengei.co.jp/case/detail/hanshin_koshien_stadium/
甲子園球場は多くのドラマを生んだ高校球児の聖地

高校卒業後神奈川県の三菱重工横浜に就職

大谷徹は先輩OBの協力で高校3年11月に「三菱重工横浜の野球部セレクション」を受け、
内定を得ました。
ここで、地元を離れ横浜に行く決心をしました。

 

ここで大谷翔平の母親となる加代子さんが後に入社し、大谷徹との出会いがあった。
これが無かったら、大谷翔平の誕生もなかったわけですね。

 

この年に入った仲間では飯塚富司(現オリックス)や中野佐資(阪神)が居ました。
大谷徹は社会人として野球を続けプロを目指す道が開けました。

 

大谷徹 三菱重工横浜

引用:https://bb-building.net/tokyo/deta-y/004.html

 

三菱重工業横浜製作所
〒236-0003 神奈川県横浜市金沢区幸浦1丁目

大谷徹三菱重工野球部

引用:http://chokikai.com/2022.01.01M/custom4.html

 

大谷徹親子

引用:https://kokonablog.com/shohei-otani-dad/

大谷徹は妻となる「加代子」と出会う

当時の三菱重工横浜野球部は神奈川県下の強豪チームでした。
都市対抗野球の神奈川代表3チームを争っていたそうです。

 

三菱重工横浜野球部は午前中は普通に仕事をこなし、
午後はビッシリ野球漬け・・
こういう毎日の中でプロ野球選手への望みを持ち練習に励んでいました。

 

やがて「外野手」のレギュラーポジションを掴むことが出来ました。

大谷徹が入社2年目に、後の妻となる「加代子さん」が入社してきました。
二人は社内の飲み会で出会いお付き合いに発展したと伝えられています。

 

大谷翔平母親 加代子

引用:https://shuukatujyouhou.com/ootanishouhei-parents

大谷翔平の母親「加代子さん」
高身長でバトミントンの選手

大谷加代子はバトミントン選手

大谷加代子

生年月日:1963年
年齢:59歳(2022年)
出身地:神奈川県横浜市旭区鶴ヶ峰
身長:170cm
出身高校:神奈川県立横浜立野高校
クラブ活動:バトミントン
卒業後:三菱重工横浜に就職

 

※三菱重工横浜は、当時だと少なかったバドミントン部があり、
その部の顧問が高校時代のバドミントン部の顧問の先生
だったことから入社したようです。

 

※中学生のときにバドミントンで全国大会に出場し
準優勝するほどの実力があったので
バドミントンでインターハイの常連校である
横浜立野高校に進学したと思われます。

横浜立野高校を卒業した有名人

  • 喜田拓也:プロサッカー選手
  • 坂井宏朱:オートレース選手
  • 山口真理恵:ラグビー選手
  • 喜多建介:ASIAN KUNG-FU GENERATION
  • 喜多建介:ギタリスト・ボーカル(ASIAN KANG-FU GENERATION)
  • 高橋雅也(株式会社ソフト・オン・デマンド創立者、元 代表取締役社長 , 有限会社国立ファーム創立者、代表取締役
  • 佐々木諒太:サックス奏者・作曲家

入社二年目で大谷徹と出会う。

大谷加代子

引用:https://www.artofit.org/image-gallery/686517536958527427/

大谷徹と加代子さんの出会い

妻となる加代子さんは大谷徹が三菱重工横浜に入社してから、
1年遅れで入ってきました。

 

三菱重工横浜では新入社員は野球部の応援をさせられるらしく、
その団結式のような集まりで二人は知り合いました。

 

当時の三菱重工横浜では野球部の応援を会社を挙げて取り組んでました。
そのような中での出会いから仲を深めていき結婚に至ってます。

 

大谷翔平の母親

引用:https://hikari-iyashi.com/shouhei-ootani-mother/
大谷翔平の母親 加代子さん

大谷徹 仕事の転機、転職の経過

プロになる事を目指していた大谷徹に転機が訪れます。
入社してから6目年目に「戦力外通告」を監督からいいわたされました。
当時の臼井監督からチームの若返りの説明を受けたそうです。
当時の大谷徹はまだ24歳です。

 

プロを目指していた大谷徹にとって残酷な通告でしたね。
大谷徹の野球人生に大きな転機となりました。

大谷徹のチーム仲間では元阪急の飯塚富司氏と阪神の中野佐資氏がいますね。

 

飯塚富司

引用:https://www.youtube.com/watch?v=f7cF7tlyEYg

 

中野佐資

引用:https://aucview.com/yahoo/k531842492/

三菱重工横浜 野球部を引退

同じ野球部の仲間がプロに進む中で「戦力外通告」をうけた大谷徹は、
24歳にしてプロを断念。同時に野球部の退部を決意しました。

 

戦力外通告は当時お付き合いをしていた加代子さんにも話したようですが、
電話をした時には、もう辞めると決めたあとのようです。

 

加代子さんは、後で後悔するよと言ったそうですが結局退部の道を選びました。

その年の12月に加代子さんと結婚との結婚を控えていたので、
野球以外の仕事、生き方を決意していたのかも知れません。

 

 

退部後はシステム関連の部門に異動し、コンピューターの勉強をしたそうですね。
SEの仕事を任せられるようになりました。
※SE(システムエンジニア)

 

大谷徹は野球部退部の4年後に三菱重工横浜の関連会社を退社。
横浜には野球をやるために来たので、
故郷の岩手に戻りたい思いが強くなったようです。

子育ては岩手でしたいと言う思いと、加代子さんを思っての決断でしたね。

「トヨタ自動車東日本(株)」に転職

大谷徹の新たな職場は自動車のボディーメーカー「関東自動車工業」です。
後に(2012年)トヨタ自動車東日本(株)と社名変更。

 

転職直後、大谷夫婦は奥様の実家から数分のところのアパートに住んでいました。
転職は加代子さんの母親からの情報でした。
「関東自動車工業」が岩手に工場を作るので、将来、岩手に住むことを前提にこの会社に就職したそうですね。

 

大谷徹の勤務先は横浜市追浜で通勤は往復3時間かかり、昼夜2交代制のかなりハードな仕事でした。
昼夜2交代制は生活のリズムを整えるのが難しく、当時はほぼ毎日残業が1~2時間あったそうです。
転職先の仕事はかなりつらかったそうで、故郷の岩手に戻れる・・を希望に頑張ったとのこと。

 

転職4年後に大谷一家は念願の岩手県(奥州市水沢)に引っ越すことが出来ました。
この時は長男の龍太さんと長女の結香さんの4人家族でしたね。

大谷翔平姉弟

引用:https://color-creation.jp/ootanisyouheifamily/
左が兄の龍太さん、右が姉の結香さん

大谷翔平の父親徹は野球部の監督

大谷一家が岩手に引っ越した時、長男龍太は5歳、姉の結香は1歳でした。
翔平が生まれたのは引っ越した翌年でした。

長男 隆太さんには仕事が多忙で野球を教えられなかった

長男の龍太さんが小学校に入った頃、野球をやりたいと言う話に、
大谷徹は岩手新工場の仕事が忙しく時間を割くことが出来なかった。
20歳代は生活にいっぱいだったそうで、大谷夫婦には後悔があったようです。

次男の翔平さんには「本人がやりたいことを精一杯やらせよう」と考えたそうです。

 

大谷龍太

引用:https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2018/07/16/___split_47/

創部7年目にして初めて、都市対抗本大会(東京ドーム)への
出場権を手にしたトヨタ自動車東日本の大谷龍太(コーチ兼外野手)
結婚していてお相手はミス高知!

次男 翔平さんに野球を強要しなかった

父親の大谷徹は翔平に一度も野球の強要はしなかった。
兄の龍太さんが中学生の時野球部にいたので、
母の加代子さんは応援にお姉さんと翔平さんを連れて行ったそうです。

 

翔平少年は幼稚園の頃から水泳やバトミントンが好きだったそうです。
母親は三菱重工横浜のバトミントン部所属でしたね。

 

翔平さんは兄龍太さんの野球をそばで感じながら、
自然に野球に関心を持つようになったと想像されますね。

父親は翔平さんに野球の基礎を叩きこんだ!

大谷翔平さんは小学校2年生の時に、地元の少年野球チーム「水沢リトル」にはいりました。

父親の大谷徹さんは水沢リトルの関係者にお願いして、水沢リトルの指導者に就任しました。
翔平さんを身近で見ながら、野球の基礎を徹底的に教え込んだそうです。
おま思うと、翔平さんが大きく育つ環境がここにあったと感じますね。

水沢リトル時代に野球の基礎を覚える

「父親の大谷徹が教えた投げる事・・」

・きれいなフォームで投げる
・指先にかかった縦回転のいいボール

 

水沢リトル

引用:https://www3.nhk.or.jp/sports/news/k10013286881000/index.html

 

大谷翔平水沢リトル

引用:https://www3.nhk.or.jp/sports/news/k10013286881000/index.html

 

 

「打つことに関して・・」

・体を開かない
・インコースはライトへ、アウトコースはレフトへ打つ

大谷翔平は中学生まで4番でエースの二刀流でした。

 

父親の大谷徹は水沢リトルのコーチなった頃、本業も激務でした。
土日祝日の9時から午後17時の練習には前日が夜勤で寝ずに参加したそうです。

大谷翔平は中学生になり「一関シニア」に入る

大谷徹は翔平さんが中学生になり「一関シニア」に入ると、
同時にコーチに就任。
工場勤務を続ける中で翔平選手の成長を見守った。

 

一関シニア大谷翔平

引用:https://maji-fine.com/archives/957

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大谷親子の「野球ノート」

大谷徹と翔平さんが交わした「野球ノート」が注目されている。
水沢リトルから一関シニアに所属していた小・中学生時代に
親子は交換日記を続けていた。

 

良かったこと、悪かったこと、これから何を練習するか・・
試合の後などに翔平さんが書いたものを父親の徹さんがアドバイス!

この中で、
一生懸命声をだす。
一生懸命チャッチボールする。
一生懸命走る。

この三つの教え忘れずに・・と教えました。

野球ノート

引用:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/09/29/kiji/K20160929013442810.html

大谷翔平プロフィール

生年月日: 1994年7月5日 (年齢 28歳)
出生地: 岩手県 奥州市
身長: 193 cm
体重: 95 kg
両親: 大谷加代子、 大谷徹
兄弟姉妹: 大谷龍太 結香
出身高校:花巻東高等学校
大谷翔平は、岩手県奥州市出身のプロ野球選手
右投左打
MLBのロサンゼルス・エンゼルス所属
年俸: 550万アメリカ合衆国ドル (2022年)

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まとめ【大谷翔平 父親大谷徹は野球監督?職業や父の教え言葉】

大谷翔平大リーグ

引用;https://www.chunichi.co.jp/article/524270

大谷翔平バッター

引用:https://the-ans.jp/tag/shohei-ohtani/

 

2022年度のシーズンはあと一か月。
米国球界に「エンジェルス売却」のビッグニュースが飛び込んできた。
その後、大谷翔平の移籍問題や年俸予想が連日話題の中心と!

 

大谷翔平は父親徹氏の厚い指導で野球の基礎を鍛え、
日本ハムファイターズに入り二刀流を披露。
地元の小、中学校時代には大谷翔平は父親の徹氏から、
マンツーマンで教えてもらう。

大リーグで活躍する翔平の野球の基礎は地元岩手にあった。
プロを目指した父親大谷徹の存在は余りにも大きすぎる!

最後までご覧いただきまして、有難うございます。

 

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